におくまんじくらいあるぶろぐ

    自分の日記を読み返すことほど楽しいことはない。それは、「それな」ばっかりだから。私は日記に、人間はこうゆうところがあるからもっとこうやって生きてほしいよね、みたいな事を書いてるけど、自分が作者だから、読者の自分が一番共感できることをぽんぽんとならべてくれる。自分とおしゃべりしてる感じ。「わかる、わかる」って全てのことにいえる。もちろん、すべての人が、「それな」「わかる、わかる」ってなる文章を自分が書けているとは思っていないし、もしかしなくても、誰ひとり分かってくれないんじゃないかな、って恐怖もあるんだけど…。こんなんだから、じぶんとしかおしゃべりしたくなくなっちゃうよね。
    みなさんは、自分の認識が他の大勢のひとたちと違っていて、自分が発した言葉とか、起こした行動とか、そういうものが、自分が認識しているように伝わっていなくて、全く見当外れなように他人から認識されていたら…という恐怖を感じたがありますか?
    人間はたとえ同じ言語を話していたとしても、誰ひとり同じ認識を持っていなくて、本当の意味で他人を理解することは出来ない 、   みたいな考えかたは、いろんなひとが行き着いていて、まあそうなのか、って感じだけど、実際はそんな事おかまいなしで、「常識がない人だな」ってよくわかんなくて不快な奴が現れたときにおもっちゃうよね。
    自分の認識が他人とは違うとすれば、他人のいろんな行いをじぶんの言葉で説明しようとすることはすごく無意味で他人を踏みにじることなんだろうな、ってかんじだけど、どうしてもじぶんの言葉で説明したくなっちゃうよね。じぶんの言葉で説明しようとするならまだマシで、実際は、非常識・不謹慎・バカ・キチガイ・ウザい・イタイ・メンヘラあたりの、大勢のひとから支持された、じぶんはぬくぬくとしていられる便利な言葉で、大雑把に評価して、じぶんはマトモなんだよ、賢いんだよ、みたいな気持ちを掴もうとしちゃうよね。でも、自分自身の感覚っていうか、意思っていうか、そういうもので、こうゆうことばを使ってるならまだマシなのかもしれない。実際は、多数決の結果をみて、多数派に何てことなく混ざって、自分が絶対に安全な場所にいることを確認してから、こういうことばを振りかざしちゃうよね。インターネットとか、流行ってるもんね。もう意思とか、感覚とか、ぜーんぶインターネットにプレゼント!みたいな。まあさ、やっぱ多数派は怖いし、すごく強気だから、そうしたくもなっちゃうよね。だって多数派は、自分たちが勝負したら勝てるって分かってるからめっちゃ攻撃してくるもんね。


  だから もう自分としかおしゃべりしたくないし、自分と付き合って、自分と結婚して、自分と自分の間の子どもがほしい〜〜〜〜!!

                              おしまい🌼